ブータンの人に「あなたは幸せですか?」と尋ねると、97%が「はい」と答えるらしい。
それがどんな国か、ずっと見てみたかった。いかに裕福なのか。いかに人が笑っているのか。
しかし訪れてみてわかったことは、その「幸福」の捉え方が、私が考えていたものとかけ離れていることだった。
今回はブータンに行って感じた、「幸福」のあり方について、考えていきたいと思う。
みんな平等なら、幸福?
通常、旅行をするときは、どこのホテルに泊まろうか、などと考える。
しかし、ブータンの旅行は政府指定の旅行代理店が全て日程を組むため、ホテルのランクなどを選ぶ権利が客側にない。
どうせ泊まるんだったらいいところに泊まりたい、などと考えるかもしれないが、そもそも、ブータン内のホテルにラグジュアリーもチープもない。街を見渡しても、”豪華なもの”が一切存在しないのだ。
整えられた同じような外観の建物。同じような料理を提供するレストラン。
そういえば、現地の人もみんな同じような服を着ている…。
平等だから、隣の芝も同じ色に見えて、幸せ?
ちなみに、子どもの数は2人って、制限されてるんだって。
知らなければ、幸福?
ブータンを歩いていて、気が付いたこと。
チェーン店がない
私が当時住んでいたバンコクには100m歩けばセブンイレブンがあり、デパート内には必ずアップルストアもマックもあった。
しかし、ブータンには一切それらが見当たらず、不思議に思ってガイドさんに聞いてみると、
外国人のビジネスは政府によって相当厳しく制限されていて、外資の流入を防いでいるらしい。また、輸入品の関税も高くかけられるとのこと。
どうやら1999年まではテレビやインターネットも禁止だったらしい。
鎖国か?
江戸時代の日本人はさぞかし”幸せ”だったことだろう。
だって、日本の周りがどんなに豊かで発展していたかについて知らなかったんだから。
私たちはよく後進国の子ども達を見てかわいそうだとか支援したいだとか言うけど、全くお門違いで、何にも知らない本人達は不幸でもなんでもないんじゃないか?
欲がなければ、幸福?
ブータンのコンビニらしきお店。
一応文房具やお菓子などが置かれていたが、その売る気のなさに言葉が出なかった。陳列の仕方も、広告の仕方も、店員も。
ブータンの人たちは、そもそも多くのものを欲してないのではないか?
当時バンコクに住んでいたので、街を歩けば夜のお店がネオンで光り、マッサージ屋の女性が手をこまねく光景を見慣れていた。
欲しがらなければ、手に入らないもどかしさや葛藤もない。
高きを仰がなければ、失望がなくて、幸せ?
昔、幸せとは理想と現実のギャップである、と言った心理学の教授がいた。
ブータンの人たちは、理想を高く置いてないからこそ、幸せを感じている気がした。
でもそんな人生は退屈すぎて私には無理だと思った。
貪欲に何かを求めてこそ、波があってこそ人生だと思う人たちは、ブータンでは幸せになれません。
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