「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです」。2017年、大手結婚情報誌ゼクシイのこのCMキャッチコピーは、大きな波紋を呼んだ。おいおい、「結婚=幸せ」を長年押し売りしてきたのはゼクシイ、おまえじゃないか。
ゼクシイの言うとおり、私たちは結婚しなくても幸せになれる。だとしたら、なぜ私たちはこんなに結婚に興味があるのだろう。結婚の価値を、問い直してみよう。
SNSの結婚報告って、誰得?
第一次結婚ラッシュは確か私が25歳くらいだったとき。高校時代、大学時代から長く付き合っている彼氏がいる友人達は、結婚式の様子を次々とインスタにあげた。
「今が一番モテるのに、結婚なんてもったいない。」「今が一番自由なのに、もっと遊ばなくていいの?」結婚をうらやましいとさえ思わなかった。彼氏のことは好きだけど、24時間一緒にいるなんて無理だ。
28歳のまさに今、第二時結婚ラッシュがやってきている。職場や社会人サークルで出会った彼氏と2~3年の交際を経て結婚する友人達は、ホッと胸をなで下ろしているようにも見えてしまう。
ヤバい、彼氏に浮気されて別れてる場合じゃない。
でも、精神の安定を保つために必死に自分に言い聞かせる。
”周りが結婚しているから、という理由で焦る必要なんかない。30歳までには結婚、なんて誰が決めた。”
自分だって本当は、彼氏から「結婚しよう」って言われたい。
だったらなんでそんなに周りが気になるんだろう。自分は自分と割り切れたら、どんなに楽だろう。
「女は結婚してないと一人前じゃない」「いい年して結婚してないなんて、ワケアリなんじゃない?」なんて言われる未来を想像するから?確かにそのわずらわしさを考えたら、上辺の「結婚ステータス」にも価値があるように思える。
でも本質は、そんなことじゃなくて。
私だって本当は、誰かから心底愛されたい。
SNSの結婚報告にイライラする深層心理は、これだ。
そうふと気付いたのは、付き合っている彼氏が私との結婚なんてまるで考えていないと知ったとき。
お互い、好きではあったと思う。中学からの古い友人でもあったし、仲良しだった。彼が日本在住で私が海外の遠距離恋愛だったけど、うまくやれてたと思う。
27歳のとき、私が「そろそろ日本に帰国しようと思うんだけど…」と伝えたときの彼の反応は今でも一字一句覚えてる。
「それが俺のためっていうんだったらやめてね。」
彼は、私が仕事したいタイプの女性だということを知っていたし、海外勤務に対する思いも尊重してくれていた。だからこそ出た言葉だったかもしれない。
でも私からしたらまるで「君のことは好きだけど、結婚するほどは好きじゃない。」と言われた感覚だった。
「結婚しよう。」この一言は男の最大の愛情表現だと思った。
誰かと長く信頼関係を築くことの素晴らしさ
もちろん「結婚しよう。」の言葉がゴールではない。結婚しているからこその苦悩だってある。
でも、結婚したら、男性だって女性だって今までのように簡単には別れられない。離婚って想像以上にめんどくさいらしい。
だからこそ、なんとかうまくやっていけるように努力をする。
そんな関係が美しいと思ったのは、外資系の小さな会社で働いていたときだった。
欧米は「無能だったら解雇」が簡単にできる世界だ。
あるとき、同僚の白人女性は社長とささいなことでモメていた。どれくらいささいなことかというと、「オフィスの掃除ができない」件について。社長は潔癖だった。
社長が彼女をクビにしようと思ってる旨を私にもらしたとき、「は?そんなことで?!」と言いかけた。同僚の白人女性もこのときすでに転職を覚悟していた。
数年単位の転職が当たり前の欧米の世界。柔軟でいいなあ、なんて以前は思っていたが、「いつ切られるかわからない」という恐怖の中で働く彼女は辛そうだった。
そう考えたとき、日本の「会社で君を面倒見るよ。辛いことあっても耐えて一緒に成長しような。」を基本とする終身雇用の文化がひどく美しく感じた。日本では、正社員を解雇するのは事実上ほぼ不可能といっても過言ではない。
結婚と離婚の考え方も同じだ。
ダメだったら別れよう、じゃなくて、ダメなところ見つけても根気強くその決めた人となんとかやっていこうって考えられる日本人、素敵かも。
信頼関係を築くには根気がいる。他人である限り衝突は免れない。
でも、絶対に自分を裏切らないという愛情を与え合える絶対的存在を、1から作りあげるというのは、素晴らしいことではないか。
さあ、結婚しよう。
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