ネパール旅行記③ヒマラヤトレッキングで生死をさまよった話

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世界最高峰のエベレストを、この目で拝みたい!

あの頃は若かった。たまたま同僚の中に登山が趣味だという人がいて、当時私たちが住んでいたバンコクからネパールまでさくっと行けることを知り、勢いだけでヒマラヤトレッキングを予約した。

元陸上部の自慢の足があれば世界のどんな地も歩ける自信があった。

が、完全に油断していた。

今回はヒマラヤトレッキングの全貌とその果てをレポートしていこうと思う。

トレッキングスタート地点 ルクラの街

”世界一危険な空港”と呼ばれるルクラ空港に降り立ったあとから、荷物をロッジに置いてさっそくトレッキングはスタートする。この時点で標高2,846 m。寒い!

トレッキングは5~6日に及ぶので、その間の着替えなどの荷物はポーターさんに預けることになる。自分は身軽に山登り開始。

スタバもエベレストになってるー!

美しい景色を横目に、ひたすら山登り

山から見る山は控えめに言っても最高。

山から見下ろす川も控えめに言って最高。

山の上の街、そして観光客のためのロッジに物資を供給してくれるのはらしいです。車両は通れないからね。

もちろん彼らだって私たちと同じように吊り橋を渡ります。

トレッキング中は何度も休憩所に立ち寄り、水を飲まされる。

標高が上がるにつれて、登山は苦行に変わる

トレッキング中に山から見える景色はどこに目をやっても壮大で、大地の神秘さえ感じさせる。

しかし、その標高が上がるにつれて、登山は苦行と化す。

なんで私はせっかくの休日にこんな辛いことやってるんだろう…?

登山を完全にナメていた。あんなに足には自信があったのに、階段一段一段が本当に辛い。

歩くときのポール(杖)が神のように活躍した。

標高4000mの街で高山病になる

私たちはナムチェという街に向かっていた。

宿泊予定のロッジへの道ではもはや意識が朦朧としていてあまり覚えていない。

覚えているのは、

ロッジのリビングで吐いて吐いて吐いてソファーや絨毯をゲ○まみれにしたこと。

・一緒に山登りをしていた当時の同僚が「救助のヘリコプター20万?!たけえ!」と言っていたこと。(お金と私の命を天秤にかけないでよ!)

・そのあと個室に行って寝たが、人生至上最大級の頭痛に助けてと叫ぶもその声は誰にも届かなかったこと。

本気で、もうここで死ぬんだと思った。

翌日、ヒマラヤを一目拝んで、下山。

そうは言っても人は簡単には死なないんだなあ。

翌日、ヒマラヤが見えるポイントになんとか行き、

下山したら高山病はケロっと治りました。標高下げるのとっても大事。

帰りは無事ルクラの街までスイスイと歩き、トレッキングは終了。

高山病対策

生きて帰ってこれたのでヒマラヤトレッキングは楽しい思い出となったが、ナメてかかったことを心底後悔した。

具体的には

・ネパールに行く前から早く寝て体調を整える。(今回は忘年会で飲んだ次の日にネパールへ渡航した。)

・生理周辺の日を避ける。どうしてもかぶる場合はピルで調整!(今回はトレッキング3日目に生理が始まるという最悪のスケジュールだった。)

・消化のよいものを食べる。(忘年会でのアルコールや、前泊したカトマンズでの食事が油っぽく、おなかがやられた。)

山登りは非常に過酷なスポーツだ。これら基本的なことを守った上であなたもヒマラヤに挑んで欲しい。命を大切に!


しかし、こういう場面で英語力が心丈夫の存在となり得ることを心から実感する。

自分の体調の様子をしっかりガイドに伝えることができること。そして何より、何かあったとしても自分で英語で対処できるという自信こそが、精神の安定につながるのである。

英語力が命を救ってくれました!ありがとう過去の頑張った自分!

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